美しい素肌が作られることとなる時間は夜ブログ:2022-03-03
妻がPTAの副会長をしていた頃には、
おいらは副会長のご主人と呼ばれていました。
入れ替わりでおいらが会長になったとき、
妻が会長の奥さんと呼ばれるようになるのに
そう日数はかかりませんでした。
いろんな行事で衆人環視の中に立つことによって、
顔を覚えられてしまいました。
道を歩いていると
見知らぬ方から挨拶をして頂くことが多くなってきました。
そんなある日の7時、
狭い道を横断しようと歩道の前に一人立ったときのことです。
信号は赤でしたが車は見えません。
以前のおいらなら赤信号を無視して渡っていたでしょうが、
その時は信号のボタンを押して、青信号になるのをむなしく待ちました。
誰かに見られているというブレーキがかかったからです。
子どもの頃、父母に内緒で危ない冒険をしたとき、
父母には筒抜けであった経験があります。
父母には見られていないはずなのにと不思議でしたが、
誰かが見かけて父母のネットワークで知らせていたのでしょう。
地域の子どもにとっては知らないよその大人でも、
大人の方は子どもを知っていたのですね。
やがて見られているという思いが
悪さにブレーキをかけるきっかけになっていったようです。
「旅の恥は掻き捨て」という悪習は、
自分が知られていないという思いこみに発しています。
今の子どもたちは、
自分の住む地域でまるで旅人のようになっています。
父母のネットワークがすっかり消滅しているからです。
教育力というのは、
父母たちが子どもたちを見知っている地域にしか
備わらないものだと思います。