20代後半でシミや小ジワの悩みが始まってしまう原因ブログ:2016-07-06
終戦直後、
僕たち一家は、谷中の3軒長屋で暮らしていた。
詳しく言えば、
母とお姉ちゃんと僕の3人で、
親父は南方戦線からまだ戻っていなかった。
当時の7時食は、
どの家もたいてい芋粥だった。
お粥の部分はお姉ちゃんと僕が食べ、
母はいつもサツマイモの部分を拾って食べていた。
まだ小さかった僕は、
母はサツマイモが好きなのだと思っていた。
そしてお昼のご馳走は焼芋である。
外でチャンバラごっこをしていた僕は、
今まさに新撰組と切り結んでいる最中に、
「やきいもー」という焼芋屋の声がする。
そうなるともう新撰組もない。
僕はあわてて家に駆け込み、
無駄でも「焼芋買ってくれ!」と母に頼むのであった。
サツマイモばかり食べている毎日なのに、
なんでまた焼芋かと言えば、
僕たちが普段食べていたサツマイモは
「タイハク」とかいう水っぽいものなのだが、
焼芋屋の芋はホントに美味い「キントキ」だったのである。
そんなわけで、
お姉ちゃんと僕はたまに焼芋にありつけるのだが、
母は決して焼芋を食べることはなかった。
いつも「焼芋は胸が焼ける」「今日は食欲不振」と言って、
焼芋にかぶりつく僕たちを見てただ笑っているだけであった。
しばらくすると、
お米もちゃんと配給になり、
菓子パンだって何時間も並べば買えるようになった。
やがて、親父も南方戦線から帰って来て
僕たちは長屋を引っ越し、サツマイモなど長屋時代の思い出は
遥か遠いものとなっていった。
お姉ちゃんと僕にお粥を食べさせようとして、
自分はサツマイモの部分を食べていた母。
そのくせ、お金がないためか自分だけ焼芋を食べなかった母。
母は一体、サツマイモが好きだったのか嫌いだったのか…
今年の中秋の名月の日には、
母の仏前に焼芋でも供えようかと僕は思う。